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保永昇男(レフェリー)について|過去にリキプロに所属した選手たち

リキプロに所属していたレフェリー・保永昇男。彼は一流プロレスラーだったのに引退後はレフェリーの道に進むなど選手としてもレフェリーとしてもプロレスを盛り上げてきました。そんな保永昇男について紹介します。

★保永昇男は選手としても一流だった

レフェリーとしてリキプロに所属していた保永昇男ですが、元からレフェリーだったわけではありません。サッカーや野球と違って、その競技のプロになれなかったからレフェリーを目指すというのではなく、保永昇男はれっきとした一流のプロレスラーでした。

保永昇男ははじめ全日本プロレスの入門テストを受け不合格とされましたが、植木屋で働く傍ら体を鍛え続け、1979年に新日本プロレスに入門することができました。

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メキシコに武者修行へ渡った後、長州力らと共に全日本プロレスに参戦します。

1985年には寺西勇と共にアジアタッグ王者になります。この際寺西のパートナーはアニマル浜口だったのですが、負傷欠場したため急遽保永昇男がパートナーに指名されました。

保永昇男はジュニアヘビー級のヒール役という立ち位置を与えられ、獣神サンダー・ライガーと激闘を繰り広げるようになります。当時獣神サンダー・ライガーやサムライのマスクを剥ごうとしたことから、彼のマスク剝ぎは一つの必殺技とされています。

そして1991年にはトップ・オブ・ザ・スーパージュニアで獣神サンダー・ライガーを破り優勝しました!この試合はIWGPジュニアヘビー級王座決定戦も兼ねられていたため、そちらの王座も同時に取得します。

その後も幾度となく獣神サンダー・ライガーと激闘を繰り広げますが、1998年に引退。引退試合の相手も獣神サンダー・ライガーでした。

★レフェリーなのに人気があった!

引退後、保永昇男はレフェリーに転向します。と言っても単なるレフェリーではなく、やはりそこは元プロレスラーの血がさわぐのでしょう。リングで暴れるんですよ、彼は!

パキスタンに海外遠征に行った時にはレフェリー兼現役選手として行きましたし、ぎこちないジャッジを下すため観客からブーイングを受けたりしました。

ロープブレイクしているのに技をかけ続ける選手に対し、ストンピングを連発して選手を制した時には、レフェリーであるのにもかかわらず保永コールをされるなど、保永昇男はファンから最も愛されたレフェリーの一人と言っても過言ではないでしょう。

★保永昇男とリキプロとの関わり

そんな保永昇男は長州力と親交があったこともあり、2003年にWJプロレスに移籍。そして2004年にWJプロレスが崩壊したためリキプロへ移籍します。

保永昇男はレフェリーでも若手選手からしてみたら怖い人として知られていて、若手選手をレフェリーの立場で育成したり、相談役になったりしています。

リキプロが新日本プロレスに合流する形になったあとも、保永昇男はレフェリーや道場管理者として残留しています。経費削減のため、自らシャッターのペンキをしたりし、若手がやるようなことまでこなしていたと言います。

まさにプロレスが大好きなおっちゃんという感じがして好感が持てますよね。

保永昇男はプロレス界に大きく貢献している一人と言っていいでしょう!

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以上、プロレス好きでも実体をよく知る人が少ないであろう「rikipro(リキプロ)」についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。

現在では長州力の個人事務所と化しているリキプロではありますが、プロレス史を語る上では短くとも点ではなく線として存在しています。

今後ますますわからなくなってしまう可能性がありますので、このサイトがプロレス史の中で「rikipro(リキプロ)」とは何かを調べようとしているどなたかの参考になればうれしく思います。