リキプロ

「リキプロ」から「新日本プロレス」復帰へ…複雑極まりない動きまとめ。

プロレスの世界は派生したり、枝分かれしたり、かと思えばまたくっついたりが繰り返されます。リキプロに所属していた長州力も新日本プロレスに復帰したわけですが……。ここでは、その複雑極まりない動きを簡単にまとめてみました。

★そもそもプロレス団体がよく分からない

まず、簡単にプロレス団体というものをおさらいしてみましょう。

日本のプロレスは元をただせば力道山がデビューした1951年に遡ります。日本人女性を初のレスラーはソラキチ・マツダですが、ややこしくなるのでとりあえずプロレスの父=力道山だと思ってください。

当時柔道がGHQに禁止されていたことにより、簡単に言えば柔道家が取り込まれるような形となりプロレスが急激に発展しました。そこから野球、相撲、プロレスが人気のスポーツとなったわけです。

1953年に力道山が日本プロレスを旗揚げしました。当時プロレスと言ったら日本プロレス一本でしたが、力道山の死去後東京プロレスと国際プロレスが発足。その後新日本プロレス、全日本プロレスができます。

ちなみに新日本プロレスを起こしたのがアントニオ猪木、全日本プロレスを起こしたのがジャイアント馬場です。逆にその二人を失った日本プロレスは崩壊してしまいます。

その後1984年にUWFが発足。ショー的要素からして格闘技要素を追求するようになりました。

1988年に大仁田厚がFMWを立ち上げインディー団体が乱立するように。この頃からプロレス人気の陰りが見られるようになったと言っても過言ではないでしょう。

★長州力の不可解な動き

長州力はアントニオ猪木の弟子として台頭しました。

新日本プロレスのエース格となった長州力は新日本プロレスの現場監督になります。しかし主力が全日本プロレスに引き抜かれたことにより事実上降格。新日本プロレスを退社しWJプロレスを立ち上げます。

WJプロレスは無計画さやイージーミスを連発し、すぐに経営悪化の一途をたどります。立て直しも聞かなくなり、所属選手は契約解除となりました。

そこから分離される形でリキプロが設立されるわけですが、リキプロも付け焼き刃といった形であまり上手くはいきませんでした。所属選手はいなくなり、リキプロは事実上長州力の個人事務所と化しました。それでもリキプロに所属しつつ新日本プロレスの現場監督に復帰するなど、長州力の存在感は重宝されていました。

★まだまだプロレス会を支えている長州力

もはや団体がグチャクチャになりすぎて収拾がつかなくなったプロレス界ですが、がむしゃらにやって人気を取り戻そうとしている感は強いです。一般企業で行ったら、元々働いていた会社から独立して上手くいかなかったけど、個人に実力があるから元の会社が「お前の力を貸してくれ」と言っているようなものですよね。この持ちつ持たれつといった精神は見習うべきなのではないかと思います。

リキプロ

リキプロでも新日本プロレスでもどちらでもいいから、自分が出来る範囲でプロレス界を支えるんだというメッセージ性が強い気がしてなりません。(あの滑舌の悪さと長州小力にモノマネをされているところを見ると考えすぎか?と思ってしまわないでもないですが……)。それでもみんなが見ていて飽きないキャラなので、まだまだ頑張って欲しいですね!