和田

和田城功について|過去にリキプロに所属した選手たち

リキプロの数少ないプロレスラーであった和田城功(わだくによし)はアニマル浜口ジムを経て長州力がいたWJプロレスに入団。WJがリキプロにスライドするように移行した後に、和田も移行しました。 和田城功はまさに怪我との戦いの連続でした。そんな和田城功のプロレス人生についてまとめてみました。

★高校時代と在籍していた神奈川県立六ツ川高等学校について

和田城功は元々プロレスラーに憧れていたため、高校ではレスリングに没頭しました。六ツ川高校では神奈川県のレスリング68kg級で3回も優勝を果たし、国体にも出場する逸材でした。

ちなみにこの六ツ川高校は横浜市南区にあった県立高校でしたが、2008年に閉校しています。ランニングに力を入れている高校で体育ではよく走らせていたというエピソードがあります。

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またIT育成に力を入れていて、文部科学省からIT人材育成高校として指定されている全国十校のうちの一校でした。2008年にからは神奈川県立外語短期大学付属高等学校と合併し、神奈川県立横浜国際高等学校に改変されました。

★プロに入ってからはパッとした成績を残せなかった

高校ではレスリングで輝かしい成績を残す事が出来ましたが、プロになってからは残念ながらその力を発揮する事はあまり出来なかったと言わざるをえません。

和田城功はアニマル浜口ジムを経てWJプロレスに入団。その後WIプロレスがそのままリキプロとなる形になり、和田城功もリキプロのプロレスラーとなります。

しかしリキプロではプロレスラーとして所属しているものの、立ち位置はちゃんこ番でした。

リキプロが事実上消滅する形となってからは、新日本プロレスに移籍します。

2010年には腰と首のヘルニアに加え、膝の故障により引退することになってしまいました。

その後は横須賀市の鍼灸整骨院で勤務し、治療家を目指すことになります。さらにその後は浜口ジムのレスラー養成クラスのコーチとなり、後進の指導をするようになりました。

★怪我はしたが、やはりプロレスが好きだった

和田城功はまさに怪我との戦いの連続でした。

WJプロレスに入団してからもアマチュア時代に発症した怪我により、満足に試合をすることは出来ませんでした(実際行った試合は数試合程度です)。

それでもプロレスが好きで様々な形でプロレスに携わりたいという思いから、2015年には師匠である長州力に頼み込み、プロレスイベントで現役復帰を果たします。

ちなみにそのイベントマッチは筋ジストロフィー(簡単に言うと筋力が低下していく病気)・難病啓発イベントで、自分がケアをしている患者さんに対して自分の試合を見せてあげたいという思いから開催されたそうです。

その時の相手は松井大二郎。プロレスラーであり、総合格闘家でもあります。なんとPRIDEであのヴァンダレイ・シルバとも対戦した経歴があります(判定で負けましたが)。

それ以降は資格を活かし、メディカルトレーナー、セコンドとし多数のプロレス団体をサポートしています。

怪我との戦いはとてつもなくつらかったと思いますが、プロレスが好きで、プロレスに一生携わっていける人生がとても幸せに見えるのは、きっと私だけではないでしょう。