宇和野貴史はあまり知られていないプロレスラーではありますが、リキプロ発足時を支えた数少ないプロレスラーです。苦労してプロレス界に入り、リキプロではなくてはならない存在でした。 2008年に大阪IMPホールで引退するまでの活動をまとめてみました。
★宇和野貴史(うわのたかし)の高校、札幌南高校について
宇和野貴史は高校時代札幌南高校で柔道をしていて全国ベスト8に入った逸材でした。
そして宇和野貴史が過ごした札幌南高校、かなりすごいです。
まず分かりやすく偏差値がすごい。72もあります。北海道で1、2を争うほどの進学校です。プロレスラーで勉強も出来るってすごいですね!
その札幌南高校にはどんな先輩がいたかというと、まずは岩田聡です。岩田聡が誰かしらなくてもピンボールといったら分かりますかね?あの開発者です。そして星のカービーのプロデューサーでもあり任天堂の元社長です。
他に政治家も多数輩出していて、苫米地義三・元内閣官房長官などがいます。
札幌南高校は全国高等学校クイズ選手権で優勝したり、甲子園出場したりなど文武両道でもあります。そんな超進学校にいた宇和野貴史はまさに頭の切れる力もちと言ってもいいでしょう。
★簡単にプロレスラーになれたわけではなかった
超進学校、柔道で全国大会ベスト8。そんな宇和野貴史でしたが簡単にプロレスラーになれたわけではありませんでした。大学推薦の道も用意されたのですが、それを断って新日本プロレスの入門テストを受けます。しかしプロの世界は甘くなく、不合格に。
その後1998年にマイナー団体であるIWAジャパンでプロレスデビューを飾ることになります。
それでもプロレス一本で食べていくことはできず、アルバイトをしながら生計を立てていました。
引退も考えていたそうですが、WJプロレスが選手募集しているということを知り、その場では引退しませんでした。そして長州力に拾われる形となりWJプロレスに移籍することができました。
しかし移籍先のWJプロレスは無計画経営だったためすぐに団体の存続が危ぶまれました。長州力を始めとするWJプロレスでともに汗を流した石井智宏智宏、和田城功らとともにリキプロの設立に参加しました。
★旗揚げした先のリキプロでは…
リキプロもそう長くは続く団体ではありませんでした。現在も団体としては存在するものの、実質的には長州力の個人事務所状態で他に選手はいません。宇和野貴史は2008年に大阪IMPホールで引退しました。
★宇和野貴史のプロレスラー人生
長くはなかったですが、宇和野貴史のプロレスラー人生について少し語りたいと思います。
宇和野貴史は184センチ、102キロと恵まれた体格と柔道をしていた経験を活かし、大技を使うのを得意としていました。得意技はジャーマン・スープレックスやドロップキックなどで、子供が見ても分かりやすい技です。
さらに大外刈りをアレンジした宇和野が開発した技がSTUです。この技なんと「札幌市、豊平区、宇和野」の略で全くなんのこっちゃ分からないネーミングです(笑)。でも宇和野は勉強ができたという予備知識を持ってこのネーミングセンスを知ると応援したくなりますよね(もう引退してしまいましたが…)。
前述していますが、宇和野貴史は2008年に大阪IMPホールで引退しました。