過去にリキプロに所属していた矢口壹琅。彼はちょっと特殊で異色のプロレスラーと言ってもいいでしょう。ここでは簡単に矢口壹琅について紹介したいと思います。
★矢口壹琅は音楽家?
まずちょっと面白い話をしましょう。矢口壹琅。「やぐちいちろう」と読めた人いますか?読めたとしたらよほどのプロレスファンか、漢字が強い人なのではないでしょうか。
しかしなぜか私のIPADでいちろうと打とうとしたら一郎の次に壹琅が予測変換で出たんです!パソコンでは出なかったのに…。
とまあそんな話はどうでもいいんです。とにかく矢口壹琅は「やぐちいちろう」と読んでください。
そしてこの矢口壹琅、はっきり言って異色中の異色です。史上最強のミュージシャンと言われているのですが、普通の音楽好きからしてみたら、
「誰だよそれ、知らねーよ」
となるでしょう。しかし、なんとバークリー音楽大学ジャズ作曲科卒が最終学歴なんです!アメリカの大学を出されてしまっては何も言えなくなってしまいますよね、日本人は……。ともかく、そんな訳だから音楽はできるはずです。
幼少時代プロレスラーを夢見た矢口壹琅は、高校時代に腰痛によりプロレスへの夢を断念してしまいます。それでも徐々にプロレスをやるようになり、オリエンタルプロレスでデビューすることができました。
★プロレスの経歴
矢口壹琅のプロレス人生と言ったら手数に特徴があります。手数というのは技を多岐にわたり繰り広げるという訳ではありません。東京プロレス、W
★ING、国際プロレス、西日本プロレス、大日本プロレス、IWAジャパンに参戦したり、多数のインディー団体での参戦を積極的に行いました。
矢口壹琅がインディー出身ということもあり、インディーに誇りを持っていました。
そんな中長州力はインディー批判をしていました。インディー批判する長州力に食ってかかり、矢口壹琅、安生洋二対長州力、天龍源一郎のカードが実現。この大戦後長州力に「メジャーもインディーも関係ない」と訂正させることとなったのです。
恐らくこの対戦が和解という実を結び、矢口壹琅とリキプロの間にパイプが結ばれ、数少ないリキプロの出身選手の中に矢口壹琅の永島刻まれることとなったのでしょう。
とはいえリキプロにガッツリ所属したという訳ではないので、矢口壹琅=リキプロと結びつく人はほとんどいないかもしれませんね。
★矢口壹琅といえば…
矢口壹琅といえば話題性のある対戦が多いです。有刺鉄線のリングで戦ったり、電流爆破デスマッチを数多く行っています。
特に電流爆破デスマッチの年間出場数の世界最多記録を持っています。
電流爆破デスマッチといえば大仁田厚だと思う人が多いでしょうが、この二人でよくやってますよ!
その他アフガニスタンで大仁田厚とシングルマッチを行ったり、貴闘力のデビュー戦の相手になったりと、見る人が見たら気持ちいいくらいのプロレス好きを表現してくれます。